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​edalab.

花のおかげでなんとか社会参加していた前田裕也が

2016年、京都の片隅に花と植物の為のラボ/アトリエを開設

フリーランスの花屋として京都だけでなく全国各地で商業施設などの空間植栽を手掛ける。

​edalab.とは[枝のラボ]ではなく、[マエダのラボ]であることは留意したい

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一番好きなSNSはthreads

 

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​ナラティブというには曲拗れた小話(長話)

ぼくがこうして花を通じて人と関われてるのは奇跡に近いと思っている。

​10代の頃から上手に社会参加できず、内向的で燻っていたフリーターの20歳の頃にバイト仲間のMくんに勧められた小説家・安部公房を読み、とてつもない衝撃を受けた。

そして、当時流行り始めた国産SNSに安部公房やドスト先生に影響を受けた文章を書き始め、バイト仲間のM君と理系の先輩N氏と文学やら美術についてだらだらと話していたのが青春っぽかった。

そんなぬるい環境に居ながら安部公房と美術の接合点を求め、絵本が描きたいなどを思うようになり、ひょんなことから(親の力を存分にかりて)イタリアに一年間滞在し、就職していく同級生をしり目に22歳のモラトリアムを延長するかの如く美術への関心を強めていった。

イタリア滞在時にボローニャの国際絵本展に現地参加してみた結果、私には絵本を本気で描くための技術も熱量が足りていないことを知り、23歳で帰国後は何かイラストにフィードバックできる仕事をしようと決意。

 

定時制の高校を卒業したあとで3ヶ月だけ花屋でバイトをしていたこともあり「色を使う花の仕事ってイラストにいいんでは?」と街の花屋にバイト勤務した。
したけれど、美術にかぶれていた青年前田は日々の業務に美が足りないと思い、安部公房の『他人の顔』から着想を得た花面を被って遊んだりしていた。

ただ精神的にも社会的立場でもまだ燻っていた。とは言えB’z稲葉先生のソロ作品[マグマ]を聴いて感銘を受けつつ、冷血でもなけば灼熱の人でもない、ただぬるいマグマを抱えた凡人であると感じ、意を決し別の花屋に正社員として就職。

新しい花屋はブライダル中心の花屋だった。

そこの京都支店に入った当初、ぼくの作業と仕上がりを見た上司の竹内さんはかわいい笑顔で「前田君、向いてないから辞めた方がいいよぉ」と言い放ち、ぼくのぬるいマグマが煮えたのを今でも覚えている。

けれど、かわいい笑顔の上司が割とすぐに退職されるにあたり、なぜかほぼ素人みたいなぼくが、その他のスタッフを差し置いて、社長判断で京都支店のリーダーにいきなり任命されてたじろいだけれど、断りはしなかった。 マグマは煮えていたのだ。

送別会でかわいい笑顔の上司にぼくは「over the Takeuchi」と書いた自分の写真を渡した。

その後、装花スキルが上達するにつれ浮かれたぼくは、初めて結婚式の装花を決める打ち合わせで担当者として振る舞ったときに、練習通りの固い言葉しか出てこず困窮。同席スタッフに助け舟を出してもらった。

「あぁそうか、自分は社会に不慣れなのだ」とその事実を思い出す。

またマグマが煮える。バックヤードでは安部公房やドストエフスキーの力を借りて人を笑わせることができるのに、なぜビジネスシーンで真面目な話ばかりしているか。

表面で人の心を掴むには、安部公房やドストエフスキーを花で包んで話せばいいのだ。

そう意識して打ち合わせに挑むと、少しずつ打ち合わせがうまくいき、笑いのあるなごやかな会話を獲得できるようになっていった。

他のスタッフからたくさんのサポートを受けて、なんとかリーダーとして社長の右腕として花のデザインを吸収したり吐き出したりしながら6年間務めた。

続く

連絡先

わたしはいつでもあたなからの連絡を待っています。
24時間のうち18時間くらい。

maeda@edalab-flower.com

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